プロフィール

松村博司

Author:松村博司
 
テレビに一瞬映ったワンショット

その風景を目指し、先輩と二人で広域地図片手に探し回りました。
まだインターネットが普及していない時代。
半日がかりで見つけました。

それが私の旅の原点。
旅をしたいからブログを書く。
ブログを書きたいから旅をする。
旅が好き。
書くことが好き。
どちらも続けていきたい。

だから旅日記です。




いつも来てくださる皆さん、
拍手、コメントをくださる方々、
本当にありがとうございます。
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DATE: CATEGORY:カーレース
 昨日と今日は連休。

 昨日は午前中歯医者に行ったり買い物したり、午後からは撮りだめしたCSの番組をDVDに落としたりしました。

 そうそう、ちなみにデジカメですが修理から帰ってきました。

 これでとりあえずSO902iをデジカメ代わりに使う生活からは脱出です^^;

 備中松山城なんてすべてSO902iでの撮影でした、全くよくやります^^;

 今日はと言うと、昔撮影した写真のネガを整理していました。

 2時頃お昼寝したら起きたら6時過ぎてた・・・

 でネガを整理してブログに使えそうなネタを探していたのですが。

 ない><

 てか車ばっかりだ;;

 遊びに行っても基本的に写真を撮らない人だったのでホント、いろんな所へ行った記憶はあっても撮影した写真は残っていませんでしたね。

 てな訳で車、行ってみましょうw

本編はこちらです »

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DATE: CATEGORY:カーレース
 古い写真のネガを整理しているとこんな写真が出てきました。

 ↓
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DATE: CATEGORY:カーレース
 とりあえず、昔の写真w

 1992年、F-1観戦に鈴鹿へ行ったときの写真です。

 フェラーリF92A。


 カーナンバー27、ドライバーはジャン・アレジ。

 フェラーリ黄金期前の一番悪かった時期ですね^^;

 マンセルが去り、プロストが去り、この先どうなるって感じの頃です。

 このあと、ベルガー復帰などもありましたがシューマッハが移籍してくる1996年まで低迷期が続くことになります。

 この頃のフェラーリを見て、現在の様子を想像できた人はいなかったでしょうね。

 去年、今年と不調ですが当時は本当に悪かった記憶が残ります^^;

 そんな時代の一台です。
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DATE: CATEGORY:カーレース
 1992年、F1観戦パート2です。

 この年のチャンピオンマシンとチャンピオンドライバー、ウイリアムズFW14Bとナイジェル・マンセルです。
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 無冠の帝王、レッドファイブ、ライオンハート、荒法師マンセルなどいろいろなニックネームを付けられましたが、ここは気安くマンちゃんでw

 この年のこの車は本当に速かったです。

 ある意味退屈だったかも・・・

 それでもレースを引っかき回してくれるドライバもいたのでけっこう楽しめました。

 この年のモナコGPは今でも語りぐさですよね。

 マンちゃんは絶大な人気を誇ったドライバーです。

 セナほどストイックでもなく、プロストのように精密であるわけでもなく、ピケのように芸術的でもなく、当時四天王の一角として扱われていたマイクを向けられたら感情的で車に乗せても感情的で。

 インタビューの内容も知性のかけらもなく(いいすぎw)

 ある意味、近所のおもしろいおっちゃん的なキャラでした。

 しかしレースになると切れ味抜群!

 ライバル達を切っては投げ、切っては投げ!

 黒旗出ようがお構いなし、チャンピオン争いをしているセナに突撃してクラッシュしたり、勢い余って自分がクラッシュしたり。

 今の優等生軍団のF1では考えられないやんちゃ坊主でした。

 それでも抜群の速さとテクニックでレースを引っかき回し、安定したレースを波乱含みの展開に変える天性の才能?を持っていました。

 何をしでかすかわからない。

 何をするか予想が付かないw

 見ている人の度肝を抜くw

 まさに嵐を呼ぶ男!

 ほめすぎかも・・・

 でも、本当に彼はレースをおもしろくしてくれました。

 あまりかっこいい言葉が浮かぶドライバーではありません。

 レースを始めた当時、お金がなくて家を売ってそれをレース資金にしていました(その時すでに既婚者)

 F3時代、首の骨を折る大クラッシュをしたにもかかわらずコルセットを付け、ロータスのテストに参加しました。

 F1に昇格しても抜群の速さを持っていながらチャンピオンに一歩届かない、そんなシーズンが続き無冠の帝王という不名誉なニックネームを付けられました。

 87年鈴鹿。

 学校から家に帰ってフジテレビ系列の6時のニュースでマンセル、S字で大クラッシュ、決勝は棄権とのニュースを見てショックを受けたのを覚えています。

 ネルソン・ピケがタイトルを決定した瞬間として何度もそのシーンがテレビに映し出されていました。

 92年、FW14Bと共にすばらしいシーズンを送ったマンセルでしたが、この年のモンテカルロは本当に彼らしいレース展開で一番好きです。

 勝負に勝って試合に負けた。

 男としてはある意味あこがれます。

 特にレースに勝つために勝負を棄てる現在のF1を見ていると寂しくなりますね。

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タグ : ウイリアムズFW14B

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DATE: CATEGORY:カーレース
 さて、ブログを書こうと思って準備を始めたのですが、今日は何も考えていなかった・・・

 モナコグランプリ、開幕しましたね~。

 だからどうした

 ・・・

 マンセルのFW14B、もうちょっとデカイ写真があったのでそれをアップ。
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 今日はこのあたりで許してやろう。


 ここは鈴鹿の第1コーナー。

 皆さん、この頃はブレーキ踏みながら1コーナーにつっこんでました。

 当たり前だろう。

 私もそう思います。

 2003年、久々に鈴鹿の第1コーナーでレースを見たのですが皆さん第1コーナー手前でブレーキ踏んでいませんでした。

 てか、ノーブレーキだよ・・・

 ブレーキングポイントは第1コーナーイン側の縁石が始まる箇所。

 そこ、ほとんどクリッピングポイントです。

 つまり、1コーナーに侵入するために減速するのではなく複合の2コーナー目に進入するためのブレーキなんですよね。

 もっと言えば、アクセルも踏みっぱなしでした。

 普通の下位チームのドライバーはステアリングを切り始めると同時にアクセルオフって感じでした。

 一番深くまでつっこんでいたのは実は当時ウイリアムズに所属のラルフ。

 決勝レース終盤、彼が一番アグレッシブでした。

 てか、一人切れてた^^;

 1992年、上の写真を撮影したのは1コーナー手前。2003年とほとんど変わらない場所でした。

 その頃のブレーキングポイントはピットロードとの合流地点。

 ずっとずっと手前です。

 しかもそれ、予選2日目でした。

 恐るべし、技術の進化。

 10年の時の流れを感じます。

 こりゃ、ブレーキングポイントのオーバーテイクなんて見られるわけないですよね。

 だって、直線でブレーキ踏んでいないんだもん^^;

「でた~、夢の38秒台~」

 なんて予選でアナウンサーがさけんでいた時代があったなんて信じられない人、多いでしょうね。

 1分40秒を切って、やっぱりF1ってすごいんだって思っていたのが我々の世代です・・・

 ターボが禁止になり、アクティブサスが禁止になり、タイヤは溝付き、昔はむせ返るような強烈なガソリン使っていたし、フルブースト1700馬力なんて時代もありました。

 テレメーターによるエンジン管理。ウイングカーなんて今だにインディーでは使われてたりして。

 F1はドライバー同士の世界最高の戦いであると共に世界でもっとも高度な技術戦争でもある。

 とこんな事を言っていた人がいました。

 10年後、F1はそしてモータースポーツはどうなっているのでしょうか。

 それを考えるとワクワクしてきます。

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DATE: CATEGORY:カーレース
 ジョニー・ハーバートです。
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 私が一番好きなドライバーです。

 当時、ナイジェル・マンセルが無冠の帝王と呼ばれ、ユニオンジャックを背負い世界の頂点に立つのはこの男だと噂されていたドライバーです。

 圧倒的な速さと甘いマスク、そしてとぼけたキャラで注目度ナンパー1だったハーバートは1987年、イギリスF3チャンピオンを獲得。

 そして翌年のインターナショナルF3000でも活躍していた彼をF1のビックチームは注目し、どこが彼を獲得するかそれが88年前半、ストーブリーグの話題の中心でした。

 しかし、ドニントンパークでの大クラッシュによって足を負傷。

 彼が事故後最初に口にしたのが「僕の足はちゃんとついてる?」でした。

 結局88年後半を棒に振り、治療とリハビリに専念することになりました。

 89年、彼がF1のシートを掴むのは無理だろう。

 これが一般的な考え方でした。

 何せ年を開けても松葉杖の生活でしたから・・・

 それでも彼の才能に惚れ込んで何とか彼をF1で走らせようとした人物がいました。

 当時、ベネトンのチーム監督だったピーター・コリンズです。

 開幕直前、まだ松葉杖をついてまともに歩けることすら出来ない彼にコリンズはテストと称してハーバートにチャンスを与えました。

 目標タイムを設定、そのタイムを越えることが出来れば正式契約を結び開幕戦に出場させることになったのです。

 さて、その結果は・・・

 目標にははるかに及ばないタイム。

 周りの反対を押し切っての起用だけにチームでの立場は悪くなるだろう、そう予想されました。

 しかし、ピットに戻ってきたハーバートはニッ!っと笑うと再びコースイン。

 当時のエースドライバー、アレッサンドロ・ナンニーニに迫るタイムを叩き出したのです。

 目標タイムも余裕でクリア。

 当時からとってもお茶目なハーバートでした。

 彼は無事、正式契約を結ぶことが出来ました。

 一つの問題をのぞいては。

 それが10秒ルール。

 F1マシーンを設計する際、緊急のために10秒以内に脱出できるようにしなければならないというルールです。

 普通のドライバーならなんでもないルール(このルールがなければ空力の為に脱出困難なコックピットを作ってしまうチームが現れるための苦肉のルールw)

 彼にはとても大きなハードルだったようです。

 それでも何とかそれもクリアできたようで、89年開幕戦、リオのネルソン・ピケサーキットに姿を現しました。

 予選では若手注目度NO1だったナンニーニを抜く快挙。

 また、決勝でもトップ争いを繰り広げ4位入賞。

 今でも覚えてます、この年のチャンピオン、アラン・プロストを追いかけ回してバックストレートではオーバーテイクまでしようとしてました。

 しかしその後怪我の影響で解雇となります。表向きは・・・

 実際にはハーバート推進派だったコリンズが更迭、代わりにフラビオ・ブリアトーレがチームを指揮することになり、その影響から解雇となったのが本当の理由のようです。

 ちなみにブリアトーレ。

 この人、ベネトンでアパレル関係の仕事をしていまして世界的に成功を収めたチキチキのビジネスマンで当時F1のえの字も知らないひとでした^^;

 その後、かなり苦労してました、ハーバートは。

 日本でもF3000やってましたし。

 私はこの頃、ジョニー、ジョニーとF1にも乗っていないドライバーを応援していたために、ジョニー・松村とあだ名を付けられたのはここだけの内緒。

 あまつさえ、それが一時エッセイなどを書くときのセカンド・ペンネームになっていたのもここだけの秘密w

(基本はずっと松村博司をペンネームにしていましたがジョニー・松村で親しまれていた気がする^^;)

 ちなみにハンドルネームはぼんくら、ヂヂ、黒猫だったりします。

 余談でしたねw

 91年、ハーバートはル・マンで優勝しています。

 車はマツダ787Bだったかな?

 この時、私はテレビの前で泣いていましたよ、本当に。

 そして、直後にロータスで電撃復帰!

 呼び戻したのはこの年、名門復活のためにロータスに就任したピーター・コリンズ、この人であった!

 はっきり言おう!

 当時、明らかにハッキネンより速かった!

 でもリタイヤも多かった;;

 この写真、92年の鈴鹿でもハーバートが前をずっと走っていたんですよね。

 でもトラブルでリタイヤ。

 結局手堅くハッキネンがポイントゲット。

 速かったのはハーバートでしたが運があったのはハッキネンでしたね。

 翌年ハッキネンはマクラーレンの3rdドライバーに。

 マイケル・アンドレッティーのせいでなかなかレースに出場出来ませんでしたが、ここ一番でチャンスを掴みましたね。

 93年のエストリル、ハッキネンすごかったです。

 ハーバートの方は速さはあったのにこの後も運に恵まれませんでしたね。

 コリンズもロータス復活のためにはハーバートの力が必要と早々手放したハッキネンやザナルディとは対照的にハーバートを手放そうとしませんでした。

 結局、財政難のすえ、94年にベネトンのセカンドチームだったリジェに売られていきました。

 ドナドナ唄いながら・・・

 でもある意味チャンスでした。

 ベネトンと同じシャーシ(の疑惑。結構それでもめてました、F1は量産シャーシ禁止なので)

 そしてルノーV10エンジン搭載。

 がすぐにそのままベネトンにスライドトレード移籍。

 ブリアトーレによってF1界から追い出されたことを考えれば皮肉な結果ですね。

 でも翌年に2勝あげること出来ましたし、99年にはシチュワートで1勝をあげています。

 声がかれるまで叫んでいました、マジでw

 うん、目に涙浮かべながら。私もすごくうれしかったです。

 でも2000年で引退しちゃいました。

 アメリカのカートに行くって噂もありましたが結局これもだめでしたね。

 彼はとても気さくな人間でした。

 ハッキネンとはとても仲がよくてホモ達なんて噂されていました。

 そんな噂を受けてジョニーもわざわざハッキネンにキスしたりしてましたしw

 まあ、でも実際にはとても好青年でした。

 ミハエル・シューマッハとも仲がよかったですしF1関係者みんなからもすかれていました。マスコミにも友人が多くいたようです。

 ジョニーが優勝したとき、誰かまわずライバル達もみんな大喜びしたと言うエピソードは彼の性格を物語っていると思います。

 また、とても人情味があり、運がなかったと言われる彼のキャリアですが、ある意味その優しい性格がどうしてもF1と言う厳しい世界では通用しなかったのではなかったのではないかと思います。

 でもたとえばセナのようにハーバートがレースに対してストイックな人だったら、私は本当にファンになっていたかどうか?

 あり得ん話ですな。

 殺伐としたF1界にあってああいったキャラクターだったからこそ私は彼を応援し続けたのだと思います。

 彼が引退した後、F1への情熱も年々下がっていきました。

 2003年、再び鈴鹿でF1を観戦するチャンスがあって、また多少なりとも興味を持ってみるようになりましたが昔ほどの熱はもてなくなりました。

 今はどんなチームに誰が乗っているか、よくわかりません。

 F1のカレンダー、全然わかりませんw

 でも1987年、鈴鹿スターティンググリッド、いまでも暗記しています。

 サーキットFMで流れたそのアナウンスそのままに。

 また、F1みて大声で叫びたいですな。

 そんなドライバー、まってます!

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 長かった・・・

 本当に長かったです。

 最後にベルガーが優勝してからすでに14年目。

 圧倒的強さを誇った第二期ホンダF1挑戦を今F1を見ている人で知らない人も多いのではないでしょうか?

 そしてもちろん私は第一期の挑戦を見てません。

 てか生まれていませんw

 第二期といえばウィリアムズとマクラーレンでコンストラクターズタイトル、ピケ、セナ、プロストでドライバーズタイトル。

 86年、87年、88年、89年、90年、91年と6年連続でタイトルを獲得してきました。

 その中で今となっては伝説とも言うべき、数々の名シーン生み出してきました。

 空前のブームに乗ってF1を見始めた私たちの世代にとって(私が見始めた87年はそうでもありませんでしたが^^;)

 HマークとHONDAの文字には特別の物があります。

 特に私など最強のチームを応援せずにその対抗馬をいつも応援していたので、私にとっては小憎たらしい存在として、また巨大なライバルとして彼らに肉薄するチームを必至で応援していたのを覚えています。

 そのホンダが98年だったかな?、HRDを設立。

 ハーベイ・ポストレスウエイト博士を迎え入れコンストラクターとして参戦の名乗りを上げたとき、少なからず興奮を覚えた物です。

 が結局は博士の急死とその後に発表されたエンジンサプライヤーとしてBARとのジョイント。

 かなりがっかり来たのを覚えています。

 その直後から急激にF1場慣れが激しくなったのもまた事実^^;

 そして今年、コンストラクターとして再び登場したホンダ。

 琢磨をチームから放り出したのだから、少しは期待します・・・

 結果はさんざんで前のGPであるホッケンハイムなんて見てないしw

 昨日、見ていたのも琢磨が意外と調子がいいと言うことで、まあブログでも見ながらのんびり見よう的乗りだったのですが・・・

 気がついたらいつの間にか見入っていました。

 ハンガロリンクは低速コーナーがつづくサーキットで追い抜きが厳しく、近年退屈なサーキットとして定着していたような気がします。

 しかし、私にとってはここはとてもスリリングなコースの印象が強くあります。

 以前からここは熾烈なバトルが繰り広げられあっと驚くようなレース展開になることが多いのですから。

 マンセルとセナの横並びのフィニッシュ。

 セナとプロストの接触しそうなほどのドックファイト。

 アウトからドリフトしながらマンセルをパスしていったアーティスト・ピケのスーパーテクニック。

 今年、アロンソがホイールナットを飛ばしてリタイアするシーンがありましたが、87年にもマンセルが同じ理由でリタイアしています、このサーキットで。

 ころころと転がるナットが印象的で、その後ホイールナットにゆるみ防止の割ピンを使うようになっていたな・・・

 本当にすばらしいバトルの思い出がたくさんあります。

 そして今年、このハンガロリンクにてホンダが第三期初優勝。

 そしてジェイソン・バトンも初優勝。

 表彰式で流れた君が代はずっと待ち続けていた瞬間。

 本当に感動的でした。

 実は一緒に歌ってたりしてw

 しかし、これがゴールではないのです。

 ホンダのスタッフの皆さん。

 日本のファンが求めているのはこんなたった一回の勝利ではありません。

 再び、黄金時代が迎えられることを切に願います。

 その時はまたアンチファンとしてけちょんけちょんにけなしてあげますw

 ただし、日本人ドライバーによるチャンピオン争いを見る日がいつか来るのなら、そしてそのドライバーのパートナーがホンダであるならば、私は全身全霊をかけて応援します。

 そう、テレビの向こうの大川さんとともに叫んでいたあの日のように。

 いけー! なかじまー!

 なんてね。
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(引退直後の中島悟さん、若いねw もう少しましな写真があったと思ったのですが、ネガが出てきたらまた貼ります)

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 元F1レーサー、中島悟さんの息子さんがついにF1デビューを果たすとのことで。

 私の記憶に残っている一貴君と言えば、エプソンスペシャルでおもちゃのゴルフクラブを持って走り回ってた姿ですかね。

 最近やっと自分の乗っているF-1マシンがわかりだしたとうれしそうに語っていた悟さんの姿が思い浮かびます。

 そんな彼がF1デビュー。

 そりゃ歳も取るわな^^;

 あと、ノリックが事故死なんて衝撃的なニュースも飛び込んできました。

 最近、モータースポーツから縁遠くなっている今日この頃ですが、衝撃的な良いニュースと悪いニュース、いっぺんに聞いた気分でした・・・

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