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松村博司

Author:松村博司
 
テレビに一瞬映ったワンショット

その風景を目指し、先輩と二人で広域地図片手に探し回りました。
まだインターネットが普及していない時代。
半日がかりで見つけました。

それが私の旅の原点。
旅をしたいからブログを書く。
ブログを書きたいから旅をする。
旅が好き。
書くことが好き。
どちらも続けていきたい。

だから旅日記です。




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DATE: CATEGORY:霧島・黒豚・桜島の旅
 ~前回のあらすじ~

 西南戦争、起因となったと言われる私学校跡です。
P1490620.jpg

 現在は病院が建っていて塀と門しか残っていません。
P1490615.jpg

 その壁には多くの弾痕が今も生々しく残っています。
P1490607.jpg

 敗走してきた薩摩軍が最後の陣を布いた城山。
P1490602.jpg

 その麓にある私学校の回りは最後の突撃で戦場となった場所です。

 町の中でここだけ切り取られたような、不思議な空間でした。
P1490604.jpg




 私学校跡ののお隣には鹿児島城があります。
P1490631.jpg

 まあ、私学校自体が出丸にあり城の一部でしたからそばにあるのは当たり前なのですが。
P1490632.jpg

 で、スタンプをもらう前にちょっと寄り道ってまたかよw
P1490639.jpg

 薩摩義士碑です。
P1490641.jpg

 西南戦争戦没者関連かと思ったら、宝暦治水事件の被害者を祀っていた場所でした^^;
P1490645.jpg

 天下普請で行われた木曽三川の治水工事で51人が自害、33人が病死。
P1490653.jpg

 さらには工事を担当した薩摩藩士が工事終了後に自害した事件です。
P1490652.jpg

 幕府の薩摩への弱体化がねらいと言われ、工事中も様々な嫌がらせを行い工事のじゃまをしたそうです。

 薩摩の藩士はそれに対して抗議の意味で自害し、また赤痢が流行して100人以上が発病したそうです。

 当時、藩の中でも幕府と一戦交えるべきとの意見も飛び出し、幕末維新の遠因ともされています。

 さて、寄り道も終了。
P1490656.jpg

 今度こそ鹿児島城へ登城です。
P1490655.jpg

 地図。
鹿児島城%%http://maps.google.co.jp/maps?q=31.598230,130.554415+(%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E5%9F%8E)&hl=ja&ie=UTF8&z=16%%31.598230%%130.554415%%16

 城内にある黎明館です。
P1490657.jpg

 要するに歴史資料館ですな。
P1490666.jpg

 スタンプはこのインフォメーションセンターのカウンターに設置していました。
P1490668.jpg

 受付のお姉さんにお願いしてハンコをお借りしてバシッと!

 二つめゲット!
97.jpg

 その後は常設展示や特別展示の大河ドラマ「篤姫」パネル展などを見て回りました。
P1490669.jpg

 入館料は300円。
img410.jpg

 その時もらった冊子です。
img411.jpg

 ちなみに篤姫展では劇中で使用した衣装が展示してあったような記憶があります。

 よく覚えてませんw

 そして常設展示内にはこれから見に行こうと思っている大久保利通の銅像のレプリカもありました。
P1490675.jpg

 写真に撮れなかったのが残念です。
P1490680.jpg

 なぜ?
P1490690.jpg

 いや、実は時間が足りなくなってオリジナルの銅像を見に行くことが出来なくなったから^^;
P1490695.jpg

 だって、彼の銅像だけずいぶん離れたところにあるんですよ。
P1490699.jpg

 仕方ないじゃないですか;;
P1490708.jpg

 ちなみにレプリカの方には馬車の銅像はありませんでした。
P1490709.jpg

 ・・・脱線したまま、鹿児島城の話題に全然ふれないまま終わってしまった^^;

 ちなみに鹿児島城、藩主島津家の居城で城としてはかなり手薄な作りとなっています。

 関ヶ原で西軍に付いた事に対する負い目もあるようですが、実際には後ろの城山が有事の際の籠城に使われる後詰めの城として存在し、現に西南戦争では西郷軍が立て籠もりに使用しました。

 また、外城制度の採用していたそうですが、一国一城令の隙をつく薩摩のうまいやり方だったようです。

 ただ、弱い防御は薩英戦争でイギリス艦隊からの砲弾を城内に受けてしまい、築城から数百年経って立証されてしまいました。

 後は江戸城と同じように大奥が存在していたそうで、篤姫も養女になり京都の近衛家へ養女へ行くまで過ごした場所でもあります。

 説明はこんな感じでよろしいでしょうか?

 では・・・


 つづく!
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テーマ : 国内、史跡・名勝巡り - ジャンル : 旅行

タグ : 九州 薩摩 鹿児島 鹿児島城 日本100名城

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