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松村博司

Author:松村博司
 
テレビに一瞬映ったワンショット

その風景を目指し、先輩と二人で広域地図片手に探し回りました。
まだインターネットが普及していない時代。
半日がかりで見つけました。

それが私の旅の原点。
旅をしたいからブログを書く。
ブログを書きたいから旅をする。
旅が好き。
書くことが好き。
どちらも続けていきたい。

だから旅日記です。




いつも来てくださる皆さん、
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本当にありがとうございます。
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DATE: CATEGORY:東海・中山道、上洛の旅
 5月4日。
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 上洛の旅二日目!
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 松尾芭蕉、奥の細道むすびの地である大垣。
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 それを無視して最初に訪れたのは大垣城は関ヶ原の合戦の前哨戦、杭瀬川の戦いの舞台となった場所です。
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 石田三成率いる西軍が大勝。
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 このまま勢いに乗るかと思われたのですが・・・
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 10時30分、横蔵寺・・・のかなり手前の駐車場に到着。
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 今にして思うと公民館か何かだったのかな?
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 駐車して本当によかったんでしょうか・・・^^;
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 まあ、深くは考えずに歩いていきましょう。
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 何で目的地の手間に駐車したかというと、ナビを見ているとこの先道が無くなっていたから。
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 うわ、道が無くなる寄って思ったときに大きな駐車場を見つけたので反射的にそこに入ってしまったというのが事の顛末です。
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 この先、道も急激に細くなっていましたし、素直に入っていく気にはなれなかったんです。
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 実際にはちゃんとした駐車場がありました。
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 有料でしたがw
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 さて、今度こそ横蔵寺に到着です。
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 本来なら昨日寄る予定だった場所です。
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 そして、昨日よれなければキャンセルする予定だった場所でもあります。
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 結局ごり押しできてしまいました^^;
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 地図です。
両界山横蔵寺%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.553255,136.561016+(%E4%B8%A1%E7%95%8C%E5%B1%B1%E6%A8%AA%E8%94%B5%E5%AF%BA)&hl=ja&ie=UTF8&z=15%%35.553255%%136.561016%%15

 そして、ルートは改めてみるとえらい北上しています。
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 この後、一端大垣まで戻って関ヶ原ICから長浜に向かうわけですが・・・
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 すごい遠回りになってる><
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 実はこの後、とんでもない事態が発生するのですが、そんなことは知るはずもなく。
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 今はただただ、森の中にひっそりと佇む美しい境内の中をため息をつきながら歩いているのでありました。
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 しかし、すばらしいですね、この寺の境内は。
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 さて、この横蔵寺。
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 日本の天台宗の粗、延暦寺を開いた最澄が自作した薬師如来を祀った寺です。
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 その薬師如来像、比叡山の薬師如来像と同じ木から作ったと伝えられています。
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 信長死後、比叡山の再建にあたり薬師如来像は延暦寺へ移され根本中堂の本尊となりました。
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 その後、新しく本尊となった薬師如来像は鎌倉時代の前期作とされ国重文に指定されていますが秘仏となっていて60年に一度しか開帳されないとのことです。
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 横蔵寺は焼き討ちにこそ遭いませんでしたが信長によりすべて接収された歴史を持ちます。
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 他の寺と違い焼き討ちに遭わなかったのは、抵抗せずに素直に接収に応じたからなんでしょうね。
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 信長といえば比叡山焼き討ちが有名ですが大津まで行くと、けっこういろんな所に焼き討ちされたという寺があるようです。
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 自ら第六天魔王と名乗って、特に後生では一向宗の根切りなど残虐非道な行いが語られています。
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 しかし、当時の日本の状況から信長一代で天下統一を果たすためにはある程度仕方がなかったのかもしれません。
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 残虐非道でいえば今年の始め、天草・島原の旅でその土地の藩主の悪政と乱の鎮圧のために徹底的な殺戮の歴史を見てきたわけですし、先日は「その時歴史が動いた」で大阪夏の陣図屏風の事についてやっていましたしね。
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 そう考えると信長が特別非道だったのか?
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 と思ってしまうのですが。
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 特にこの頃、仏教徒は強大な力を持ち、独立国家のような状態で権力者も手出しできない状態だったわけですし、それを打ち破るために力でということだったのでしょうね。
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 今でいう所の、どんなに志の高い政治家が現れた所で、利権にまみれた官僚と族議員の抵抗になにも出来ないという感じでしょうか。
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 そんな日本を替えるためには・・・?
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 短期間でもっとも効率のいいのは、ある意味根切りなんでしょうね・・・
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 話がそれましたが即身成仏のミイラがまつられている舎利堂に到着です。
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 こっちは国重文の仏像が十数体並んでいる宝物館、瑠璃殿でどちらも撮影禁止です;;
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 1815年頃、修行を重ねた妙心上人は山梨にて入定、何の処置もせず自然にミイラ化したそうです。
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 上人は村人の手により祀られていましたが、明治になり県庁へと移され明治天皇の天覧の時に、生まれ故郷に戻すようにとの一言で現在の横蔵寺に戻ってきたそうです。
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 元々上人は、この地方の生まれで両親の没後、この寺に預けられた経緯もあったというわけです。
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 撮影は出来ないので頂いた冊子をスキャンを載せておきます。
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 さて、横蔵寺をそろそろ離脱しましょう。
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 実は大垣城でゆっくりしすぎ、思いの外移動に時間がかかっているため、時間がおしています。
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 その影響で横蔵寺の滞在時間は30分。
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 もう一回、ゆっくり見てみたいと思ったのですが仕方がありません。
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 この後は本日のメインであり、この度のメインといえる場所がつづきます。
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 ここはぐっと涙をのんで離脱!
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 つづく・・・
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テーマ : 国内、史跡・名勝巡り - ジャンル : 旅行

タグ : 谷汲村 横蔵寺

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